沿革

新しい感覚のデザインを採用した木製文具事務用品は、戦後荒廃した日本人に新たな息吹を与えることになりました。
なかでもヒットしたのが木製の「救急箱」。寸分の狂いもない「組木」の技術は業界でも評判になりました。

当時としては最先端の工作機械を導入し千代工場が稼動しました。
また、流通のための井宮倉庫も獲得、法人化して本格的な操業がスタートしました。木製救急箱の製造に全力を注ぎ、全国の56%のシェアを獲得するに至りました。

静岡の地場産業として発展した木工製品が世界の注目を集めたころ、当社の製品も独自の技術が評価され、木製台所用品その他の雑貨類を中心に輸出が盛んになりました。

第一次、第二次オイルショックによる輸出不振を補うべく内地向けデザイン開発を開始し
救急箱、木製パッケージ、自社オリジナル商品、SP商品等を柱に内需拡大を積極的に展開しました。

約30年、板干し場として使用していた千代工場の隣接地(約2.200㎡)の払い下げを受け、工場の拡大に踏み切りました。

8月に約470㎡の本棟(食堂、作業場、倉庫、展示室)を新築、12月に古いつぎはぎ工場を解体し、約500㎡の工場を新築。工場、商品管理、流通部門の充実をはかりました。

業務効率化を図るため、本社機能を安東より千代工場本棟に移動し、事務仕事から木材加工、製造、組立、流通のすべてを千代に集結しました。

千代本社に南棟(作業場、倉庫)を新築し、井宮倉庫を閉鎖しました。

旧棟の一部を解体改修。機械の配置整理、増設のため工場を増築しました。

PAGE TOP